幸せの証明

東京はいい天気です。


きょうは、ちょっとももふくから離れたお話です。


東京に戻ってきてから、高校時代や大学時代からの友人と会う機会が増えました。
子育てに奮闘する友人あり、仕事が充実している友人あり・・・。
皆それぞれの道をそれぞれの生き方で歩いています。


私が仕事を辞めると決めたとき、
「仕事が人生ではない。もっと違う生き方があってもいい」と考えました。


これはある程度予想していたことなのですが、
友人たちと会っていると、ふと自分に疑問を感じることがあります。
「今の自分は、自分の道を歩いているだろうか?」と。


はじめのうち、職業欄に「無職」と書くことにとても抵抗がありました。
「無職」この2文字がとても空虚に思えてなりませんでした。
失業保険の手続きに、渋谷のハローワークに行った時も
必死になって仕事を探している人たちを見てとても心苦しく思いました。


「今の君の仕事は、健康を取り戻すことだ」と夫は言います。
私もその通りだと思います。
夫が慣れない東京での仕事に疲れた時「帰りたい」と思える家を作ること。
その目標は今も変わりません。


前の仕事に戻りたいか?
答えは「NO」です。
戻れば、肩書が付き名刺を持つことでつかの間の安心を得るかもしれません。
でも、そこには本当の「自分」はないと思うのです。


私は、特に信奉する宗教はありません。
ただ、様々な宗教から心に響く言葉を探すことは好きです。
アメリカの神学者ラインホルト・ニーバーが作ったとされる言葉があります。


神様、私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!
変えられるものは変えていく勇気を!
そして二つのものを見分ける賢さを!


この言葉は「小さなお祈り」とも「平安の祈り」とも呼ばれています。


そして、わたしの好きな作家の村上春樹は著書「東京奇譚集」の中でこんなことを書いています。


「しかし、どうしたらいいのかわからなくなってしまったとき、僕はいつもあるルールにしがみつくことにしているんです」
「ルール?」
「かたちのあるものと、かたちのないものと、どちらかを選ばなくちゃならないとしたら、かたちのないものを選べ。
 それが僕のルールです。壁に突きあたったときにはいつもそのルールに従ってきたし、長い目で見ればそれが良い結果を生んだと思う。
 そのときはきつかったとしてもね」


こんな言葉を拾っているうちに、なんとなく分かってきたように感じました。
わたしは、肩書と名刺という「かたちのあるもの」ではなく「幸せ」という「かたちのないもの」を選びました。
たしかに、正直今はきついです。


それに、仕事をしている人が「不幸せ」かといえばそんなことは絶対にありません。
子どもがいるかいないか。仕事をしているかしていないか。病気か健康か。
そんなことで、人生の「幸せ」を決めることなど到底できないと思うからです。


「人生は幸せの証明である」
誰の言葉かは分かりませんが、以前ある友人から教えてもらいました。
「自分が幸せに生きることがこの命題に対する証明である」そうです。
自分で証明しなければ誰も証明してくれない。
証明を手伝ってくれる人はいても、自分が決めた答えである以上
その答えの正しさを証明できるのはじぶんだけ。


「幸せの証明」なんだかワクワクします。